来年は来年の雪
来年の霧色
来年の絶え間ない陽光
そして来年の数えきれない生命力
ゆらゆらと、時間は 2023 年に進んでいきました。
ふとした瞬間、まるで 22 年の春節が目の前に迫っているかのように感じました。
あの日、私は北国の雪地を踏みしめて緑の列車に乗り、車内で 27 時間もくるまってから、再び駅の石畳に立っていました。
そして、
忙しくも慌ただしい一年が始まりました。
平凡で退屈な一年でもありました。
まあ、何もせずに過ごした一年と言えるでしょう。
技術的には特に進歩はなく、仕事も順調ではなく、社交もいつものように単調で、足跡も... あまり踏み出せませんでした。
全体的に言えば、影に覆われた、平凡で暗い一年でした。
唯一の違いは、以前は封鎖と核酸によって覆われていたが、12 月以降はウイルスに狙われる存在になったことです。
しかし、どんなことがあっても、変化があるなら期待に値する。カーテンの向こうには、寒さなのか、それとも陽光なのか、最終的には引き裂かれて初めてわかるものです。
広東の冬は雪が積もることはありませんし、それほど寒くはありませんが、ほとんどの時間、冬の陽射しが足りず、少し陰鬱な気分になります。
私は小学校の頃、厚い手袋をはめ、マフラーに包まれ、広々とした陽射しの中で、雪のギシギシという音を踏みしめることを懐かしく思います。
また、中学校の頃、毎朝の居眠り、夜の自習、そして夜中に何度も夜食を食べながら、携帯電話で本を読む深夜のことも懐かしく思います。
大学の時も、無駄に過ごした時間、試験前の徹夜の勉強、銀杏の葉で覆われた秋の草地や小道も懐かしいです。
ただし、人は結局のところ、記憶の中で生きることはできません。
多くの人のいない深夜には、ため息や追憶でさえも贅沢に感じられます。なぜなら、目覚まし時計はいつも時間通りに鳴り、限られた時間の中で、睡眠がいかに重要かを教えてくれるからです。
でも、幸いなことに、今は週末であり、最近はかなりいい天気です。
窓の外には濃い夜の色が広がっており、私は外を見ても、ガラスに映った影しか見えません。
それはもやもやとした夜灯りの中に隠れて、私を黙って見つめているようで、過去の苦難と沈黙を語っているようです。
花火の音が鳴り響き、小さな窓から聞こえる音から想像すると、きっと美しい音なのでしょう。
窓の外には何も景色はありませんので、私は振り返ります。
苦難はまだ終わっていませんし、苦難を称えるには値しません。
太陽はいつも通り昇り、人々は生活を背負って人生の中で迷いと苦闘を続けなければなりません。
しかし、どんなことがあっても、私は心から願っています。明日目が覚めた時、私が太陽に向かって言う言葉は、
おはよう、2023 年。